works*

2005-2006年,2011年‐現在に至るブログ。

夏目漱石

毎日暑い日が続いていますが
お元気でいらっしゃいますか?

最近、知人が急逝し
人は死ぬものだと当たり前のことを
当たり前に受け取れていなかったと。

逆に慕しき人が亡くなると
あちらの世界が半分開いたような気持ちになり
順番なのだからとか
あちらに待っている人がいるのだと
会えるのか会えないのかわからないのに勝手に解釈をしたりしなかったり。

漱石さん、私はいつの頃からか青磁器が気になり
大阪の東洋陶磁美術館に出向いたり
また検索などをしておりましたら
偶然あなたの収蔵品というもののなかに
青磁器が何点か残っていることを知りました。

筆洗い用の青磁器
それから高麗青磁象嵌雲鶴文などといった珍品がありました。
これはデジタルライブラリーで写真を公開しているもので現物は神奈川近代文学館にあるようです。
書画などもありますので一度来館したいと思います。

あとイギリスの時のものでしょうか鉛筆がありました。

ではまた

かしこ


夏目漱石デジタルアーカイブ

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漱石さん こんにちは

最近、何かしらで「行人」には和歌浦のことが書いているということを知り読むことにしました。

行人改版 (新潮文庫) [ 夏目漱石 ]
行人改版 (新潮文庫) [ 夏目漱石 ]

和歌浦は思い入れがある土地です。

昔の和歌浦を感じることができました。
ここにエレベーターがあったことや
難波から和歌山市までの列車の食堂で昼食を食べたこと。
車中からの眺めの海と草木の色、
和歌山市から紀三井寺まで電車が走っていて市内から和歌浦までは遠く描かれていること
(そういえば岡公園にその和歌山水力電気鉄道の市電が飾られていました)

和歌山らしく大あらしに見舞われ、今の県庁付近に宿泊したようす。
兎にも角にも漱石さんが和歌浦にきて居たことがうれしいです。

その行人の中で印象的だったのが有馬のことです。
有馬か和歌浦か景勝地の話になり有馬の案が出て流れます

有馬へは犬に梶棒をつけて人間を乗せて上がるとあり驚きました。
今は有馬までは神戸電鉄が走って居ます。
有馬までの山越えを犬に頼るとは犬が気の毒でなりません。
人の遊興のために、しかも水を飲まさず働かせるとあり重ねて重苦しい気持ちになりました。

そういったところ
当時を知ることになり、また
人の冷たさなども感じます。



日露戦争で塹壕の中で死んでいった浩さんの死をめぐる話がある。

趣味の遺伝の書き出しは
人の狂気をここまで鋭く
書きあらわす鬼才ぶりに驚かされる。

その書き出しとは

陽気の所為で神も気違になる。
「人を屠りて飢えたる犬を救え」と
雲の裡より叫ぶ声が、
逆しまに日本海をうごかして満州の果てまで響き渡った時、
日人と露人ははっと応えて百里に余る一大屠場を朔北の野に開いた。



新橋で凱旋に沸く人々
帰還に喜ぶ母親
万歳三唱

そして
今も塹壕から出られない亡き友について考える主人公

大切な人の死を悼む心は
第二次世界大戦と重なる

しかし万歳三唱で凱旋に沸く日露戦争と
負けに負けた第二次世界大戦とは違うだろう

日露戦争のときに
ここまで戦争を鋭く書きえぐっている漱石は
おそろしいほどの孤独を感じていたのではないか

戦況に踊る群衆
勝ち戦が人々に与えた興奮の渦

ただ堂々巡りに
塹壕で死んだままの友人への感情を表している漱石は
きっと孤独だっただろうし
このムードを止めるためにどうしたらいいのか
苦悩に満ちていたと思う。


人を屠りて飢えたる犬を救え!
それは明治日本の闇の状態を表している。
ぐんぐんと伸びていく国家とは別に
暮らしに行きづまる民衆
その民衆の飢えを解消するために
満州を切り開き
それが一大屠場と化した

深い筆だと思う
しかしこの筆に共感したものは少ないはずだ






漱石文学に
その時代の風が吹く。


作品「道草」は
終始、お金の貸し借りまつわるいざこざが描かれています。
お金に困った人が借りに来る場面があります。
作品に縦糸と横糸があるとするならば
お金の話は縦糸で横糸は社会風刺です。


お金の無心にやってきた養父島田が突然こう言います。
李鴻章の書を好きならあげても好ござんす。
あれでも値打にしたら今じゃよっぽどするでしょう
健三は好きとも嫌いとも云いかねます。
そして藤田東湖の偽筆に価値を付けるために細工した島田のことを思い出します。
藤田東湖がもてはやされたことを漱石は書いているのですが

藤田東湖の有名な書とは
白髪蒼顔萬死
少年豪気前未除
佩刀不試洋夷血
空憶故山舊草案

宝刀を西洋人の血で染めてやろうと思ったとと書かれています。

時代は攘夷から維新、
この書がもてはやされたことをたんたんとつづっているのですが

よく読むと
物騒。
こんな書がもてはやされていたのかと
残念な気持ちがします。

勝てば官軍負ければ賊軍で
多くの人が死んでいき
そのままそのことについて反省もせず
攘夷派がもてはやされ
言論は制限され、欧化政策に突き進む
そんな風景が作品から浮かんできます。








漱石の小説は主人公を通して
自身の留学経験から得た意見を発信している。

明治時代、日本は冷静に自国の力量を分析していなかったことを暗に示しています。
はっきりと警笛を鳴らす人が煙たがられたり排除されたり罵られることも描かれています。
明治時代は日本が国際社会で急激に頭角をあらわすほどの成長をとげたのは確かだが、勘違いや見誤り、情報分析の甘さがあったといえる。

留学経験を通して、漱石はただひたすら
産業革命で工業化し発展するイギリスのメリットだけを発信するのではなく
当時の公害や労働環境の悪さなどデメリットについても発信をしている。




夏目漱石 「道草」
主人公が養父に再会する場面です。
養父は主人公のお金をあてに訪ねてくるところから話は始まります。

千駄木から追分へ出る通りを日に二辺ずつ規則のように往来した。
ある日小雨が降った。その時彼は外套も雨具もつけずに
ただ傘を差しただけで
いつもの通りを本郷のほうへ例刻に歩いて行った。
すると車やの少しさきで思いかけない人にはたりと出会った。
その人は根津権現の裏門の坂を上がって、
彼と反対に北へ向いて歩いて来たものと見えて、
健三が行く手を何気なく眺めた時、
十軒位先からすでに彼の視線に入ったのである。


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養父の金の無心にどう対応するか悩み続けるなか
主人公は記憶の隅に置き去りになっていた
養父との思いでをしだいに思い出します。

養子であることに幼子は複雑な感情をいだきます。
しかし裕福でいろいろなもの(本など)に接することができた
養父への複雑な感謝を読み手は受け取ることができます。

私たちは
環境や幼いころの思い出の積み重ねでできており
自分という存在は
接した人やモノとの交流の記録だったりします

人の縁というのが
お金と絡まっている。
そんな日常が描かれています。



2016.5  記

こんにちは漱石さん
わたし東京に行ってきました。

旅に出るときはいつも少し不安になります。
漱石さんはどうでしたか?

わたしはいつも覚悟をしながら出かけます。
最近は地震も多く旅先で何かに出くわさないとも限らないですから。

実際、夜の銀座でけたたましく地震速報が鳴って驚いたんです。
今はスマホっていう携帯電話が地震を知らせるんですよ。






実はあなたの短編集「倫敦塔」をもって出かけました。
倫敦塔・幻影の盾 (新潮文庫)
夏目 漱石
新潮社
1952-07-22


倫敦塔は20ページほどですから
名古屋あたりで読み終えましたが

「読んだ」といっても
半分も読み解けてない気がします。

わからない言葉や事件を
調べたり注釈を読んだりすると
深くて。


あとでもう一回読んでみますね。


そうそう、
あなたは留学先で見るものすべてに
目を輝かせていたのだと
最近まで勘違いしていました。
結構冷静だったんですね。

どの小説だったか
ロンドンは公害がひどいって
空気が汚れきっていて、体の毒だというようなことを書いていました。

今回の倫敦塔もそう、
倫敦塔に見物に行く人がいるけど
実は邪魔者が幽閉されて殺された場所だって。
ややもすれば九段の遊就館は倫敦塔のようだと書いていましたね。
それはどういったことかと考えたりしました。
戦勝に沸く一方で
日露戦争に反対した新聞が発禁になっていく、
ということは、いろいろと書けないこともあったのだと思います。


人間は行き過ぎた所業を
天昇させることがあって
注意しないとだまされそうです。



東京では
あなたの小説に出てくる場所に
行ってみたくって
本郷あたりをぶらぶらしてきました。

東大散歩して
三四郎池って名前になった例の池にも行きましたよ。

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あなたに会えるわけでも
小説の主人公に会えるわけでもありませんが



追伸
東大内にあるカフェに立ち寄りました。

オリンピックが東京で開催されるのですが
新国立競技場はこの方(隈研吾さん)の建築になったのですよ。
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では
また。

あ、もう1つ
東京駅はまるで外国のようでしたよ。
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主人公はニートで兄や父親をアテにしている。
アテにできるほどお金がある。
兄は実業家。親切でどこも悪くない人間なのだと思う。

しかしこの兄の存在に
どうしようもない
動かしがたい大きな力を感じる
避けようにも避けられない力の存在として見えてくる

兄は社交界にも忙しい
情報通で、新聞のネタを次から次へと話題にし
相手を飽きさせることがない。

そんな兄も抜けているところがあるのか?
それとも弟(主人公)を信用しているのか
あれこれ新聞のネタを話したあとで
「時にトルストイという人はもう死んだのかね。」
と聞くシーンがある。

情報通の兄といえど、知らない事もあるよね、と思わせる一方で
文間の空気が、なんかおかしい。

ただ「物知りの兄は文学には疎い」ことを言っているのではないんだなと思い、そしてこの本のあとにもさきにもトルストイのことはこれ一度きりであった。

読み終えて調べると
この本を書いた時点でトルストイはまだ存命であった。
主人公はそれを知っている様子。それなら
「存命だよ」と答えてあげればいいものを言わないでいる。
うっすらと漂う失望。

この話の時代背景である日露戦争のとき
トルストイは日本とロシア両国に「戦争するな。内政問題に集中せよ!」とののしっていた。

日本でもその発言が三度新聞に取り上げられている。
明治37年8月「戦争を論じ、日露両国を罵る」同年9月「戦争反対論を秘かにロシア国内に配布」
明治39年「露国の禍根は農民問題、高石特派員に語る」

こういう発言は圧力に苦しめられる。
言論統制が吹き荒れて場合によっては死刑
そこに兄の
「で、トルストイは死んだのかね?」
という、さらりとした問いかけに
とてつもなく大きな、避けがたい力のようなものを感じてしまう。

兄の話すこと
それは新聞の受け売り
今も同じような構造があるように思う。


参考文献
明治ニュース事典

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この作品は日露戦争後の日本を描いた貴重な作品である。


社会主義言論の取り締まりが強固になり
各新聞も国権を恐れ主戦論に転じていった。
そんな中、非戦を訴える平民新聞も発禁となり
不穏な空気が漂っていた。

物語は維新によって栄える裕福な一家に生まれ
その富をあてにし働こうとしない代助を主人公とする。

代助の恋愛模様を描きながら
お金のやりとりばかりが目立つ。


ピアノや舶来もの、芸術品
園遊会やシルクハット・・・
文明開化がいたるところに見え隠れする
何不自由ない暮らしの長井家
代助はその家をさらに強固にするための政略結婚を強いられる

時の社会主義運動、幸徳秋水らの取り締まりも見え隠れし、
日糖事件の不祥事から、
新聞を一面的に見ることの危うさなども見て取れる。

外国に借金してようやく日露戦争に勝ち
その地位をなんとか保とうとしている日本

親父は戦争に出たのを頗る自慢にする。
ややもすると、御前などはまだ戦争をしたことがないから
度胸がすわらなくっていかん、と一概にけなしてしまう。
あたかも度胸が人間至上な能力であるかの如き言草である。
代助はこれを聞かせられるたんびに嫌な心地がする。


だから父親の「働け」いう理屈に
国の為と言われてもなんといわれても
代助はのらりくらりとかわしていく

働かない本当の理由を父に話さず
親父という老太陽のまわりをくるくる行儀よく回っている。

国の借金によって人の生活が圧迫して
目の回るほど働いてる。
神経衰弱になる人がふえ
道徳心も失われている、
つまり人はじっくり考えることができていない。

代助は働かない選択を貫いていた。


そして、ある事件をきっかけに
代助は働くことを考えなければならなくなっていく。

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