ヴィンセントファンゴッホ
1890年サンレミ病院にて描く
現在プーシキン美術館蔵

ゴッホは出資者である弟の結婚により
彼とその家族に迷惑をかけないため
自ら収入を得ようと集中する。

絵を売ることにさらに貪欲になり、
多くの絵を残し
それがお金になることを考える。死後に

すでに自殺のような暮らしをしており衰弱し精神も病む。
しかしながら精神は本当に病んでいたのかは彼の日記からはわからない。


周囲や医者は精神疾患を判断している
耳切り事件を起こしている。
一般的な社会生活を送れていない

しかし私は日記全てを通して
彼は精神疾患からサンレミ病院に行ったのではなく
絵を描くために行ったと考えている。

最低限の食事を得て
そして入院料と生活費とを天秤にかけて
「絵が描けるから」と述べている。


精神病院で多くの絵を描くが
その一つがドレのニューゲート監獄の絵を模写し
作品に仕上げた「囚人の運動」である。

これはドレのニューゲート監獄を想起させることを目的としている。
そしてなぜ囚人が生まれるのか
ニューゲート監獄について
社会に問うている。