ショーペンハウワーは言いました。
「死の恐ろしさは
わたしは消え世界は残るという虚像に基づく。
しかし反対が真なのだ。
つまり世界は消えるがわたし(自我)の内奥の核心、
かの主観の担い手産み手は存続する。
世界はその表象のうちにのみ存在したのだ。
脳髄において。」と。
たしかに死は結局はっきりとわからない。
しかし、死後、生きている人にはその人の痕跡をみることになります。残していったモノが残る。その人の人生なども記憶される。
生は自分が生み出した意識かもしれない、それはぬぐえないが、死によって、人というものが個々の分断された意識でなく、意識の集合体であることが立証される。