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2005-2006年,2011年‐現在に至るブログ。

2015年07月

はじめに
モーリタニアはアフリカの北西にあり大西洋に面しています。モーリタニア産の蛸を日本で頻繁にみかけるようになりました。モーリタニアは日本が第一の貿易相手国です。日本の工場も建設されています。


モーリタニアの正式な国名はアラビア語でジュムフリヤート・アルイスラミーヤ・アルムーリタニといいます。訳して「モーリタニア・イスラム共和国」です。
国民の9割がイスラム教を信仰し公用語はアラビア語です。フランス語やベルベル語の話者もいます。
国章はアラビア語とフランス語で国名が記されています。
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国土は日本の3倍あり人口は67万人です。(2007推計)
人口密度は低く、鉄道はズエラトとヌアディボまでをむすぶ一路だけです。目的は鉄鉱石の輸送です。
主な産業は農業や漁業、鉄鉱石となっています。

北の国境は西サハラに接しています。西サハラは独立派とモロッコが領有権争いを続けています。東はマリ共和国とアルジェリア、南はセネガル共和国と接しています。

古代都市群(世界遺産)
内陸の砂漠地帯は中世にサハラ交易で栄えた都市ウアダン、シンゲッティがあります。この古代都市群は世界遺登録されています。「砂に埋もれた」と表現され人口は減少しています。このあたり一帯は塩の交易が盛んにでした。

パリダカのルート
パリからダカールまでの間にモーリタニアがあります。
この南北ルートはイスラム勢力とキリスト教の攻防の道です。8世紀のイスラム勢力が拡大すると11世紀初頭にモーリタニアとセネガルの国境付近の今のイスラム修道士が兵士となってイベリア半島に進出しました。時代が進み20世紀はフランスの植民地になりました。このルートはテロの標的に合うなどの問題を抱えています。現在は別のルートでの開催です。

シェイクスピアの悲劇オセローの出身地
シェイクスピアの悲劇オセローはヴェニス元老院に雇われているモーリタニア生まれの軍人です。ヴェニスで結婚をしますが肌の色で差別され、やがて疑心暗鬼になって身を滅ぼしてゆきます。


おわりに
フランスは植民地時代にアラブ系と非アラブ系を対立させて統治(分断統治)を行いました。分断統治は功を奏さず、民族を超えてイスラーム共同体は息づいています。

バジリコやカプレーゼの飾りなどに
すっかりおなじみのイタリア食材「バジル」

日本では江戸時代、和名をめぼうき(目箒)と呼び
目の中に入れてゴミを取ることに使われていたようです。
生薬名は羅勒といいます
江戸時代の初期には文献に登場しています

さらに最近では、卑弥呼の時代にはバジルが伝来していたのではないか?という発見の記事がありました。



牧野和漢薬草大事典
ハーブ図鑑
古事類苑


本草学【ほんぞうがく】
元来は疾病治療に使用する薬物(動植物,鉱物)を研究する学問。中国に発達し,《神農本草経》が最古の本草書とされる。日本でも中国からの本草書の渡来に従い発達したが,《本草綱目》の渡来以後江戸時代に急速に発展した。



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